0系新幹線電車の思い出(1)
父方の実家が静岡、母方の実家が鎌倉、住んでいたのが大阪という関係上、物心つかぬ頃から0系新幹線にはよく乗った。生後6ヶ月ですでに乗っている。それから22年、ついに東海道区間から0系が消えることとなった。ここでは思い出も交えながら、0系の35年間を振り返ってみる。
編成表の1行目は号車番号、2行目は形式(下付数字は区分番台の100の位。例えば262は26形200番台。)である。3行目、「G車」はグリーン車、「ビ」はビュフェ、「自」は自由席、「指」は指定席の略である。
昭和39年
この年10月1日、東海道新幹線が開業した。私の産まれるずーっと前である。すでに0系はこの年の3月から投入が開始されていた。6両編成で鴨宮実験線にいたという噂も聞いているが、私は知らない。
開業時の編成は、「ひかり」「こだま」共通で、グリーン車(当時1等車)2両、ビュフェ車2両を含む堂々の12両編成で、全車指定席であった。
ちなみに先行投入された6両編成、開業時の12両編成は次の通りである。
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「ひかり」「こだま」
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全車指定席で特急列車の風格たっぷりであったが、この年の年末より、「こだま」の1〜5号車が自由席となった。
昭和40年
5月から、「こだま」の自由席は1〜6号車となった。
昭和41年
開業以来、「ひかり」「こだま」とも、同一編成を使ってきたが、「こだま」のグリーン車(当時1等車)が比較的空いていたからか、この年6月より「こだま」のグリーン車1両を普通車とすることになった。手順としては、グリーン車のない12両編成を新製しグリーン車2両の編成と、7・8号車のどちらかだけ差し替えるというものであった。このため、7号車がグリーン車の編成と8号車がグリーン車の編成が出来てしまった。以降は8号車がグリーン車の編成が正規編成ということになり、以降、増備の際には、変則編成を改称していく方向になった。変則編成の号車番号、自由席配置は、新大阪方から7両目が78号車、8両目が87号車となっており、78号車がグリーン車(当時1等車)、87号車が自由席車だった。なお変則編成87号車には業務用室のある26形400番台が使われた。
「こだま」
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昭和44年
この年7月から、「こだま」のビュフェ車1両を順次売店車に置き換えることになり、ビュフェ車無し、売店車2両を含んだ編成が新製され、「こだま」編成の5号車のビュフェと置き換えていった。これにより、「こだま」編成の5号車は売店車となった。また開業以来、ビュフェ車は利用者のほとんどが普通車乗客の5号車がカラフルな色調、グリーン車利用客が多い9号車は落ち着いた色調の室内となっていたが、組み替えによってこの意味が薄れることとなった。ちなみに私はまだまだ産まれていないので、両者のカラーリングの違いは知らない。また、売店車については、私も案内の車内放送を聞いた記憶がかすかにあるが、売店自体を見た記憶は無い。なお売店はいつの間にか営業が廃止され、平成11年、最後の1両が消えようとしている。
またこの年12月から翌年2月にかけて、万博開催に備えて「ひかり」の16両化を行った。手順としては、新しく作った車両を、12両編成の7・8・13・14号車に挿入するというものである。7号車には25形700番台が、13号車には25形500番台が、8号車・14号車には26形700番台が挿入されたが、25形500番台は0番台の続き、26形700番台は200番台と同じであるため、特に記さない。
「ひかり」
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「こだま」
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昭和47年
46年末からこの年頭にかけて、新幹線岡山開業に向けて、「こだま」変則編成に4両づつ追加することにより「ひかり」編成とし、変則編成を解消した。元「こだま」変則編成の「ひかり」編成は4号車が26形400番台となった。またこの年の3月15日より、「ひかり」にも自由席が設置された。
一方、「こだま」の方はこの年の夏から約1年間かけて16両編成化することとなった。新製車は8〜11号車に挿入された。移行期間中、12両編成の「こだま」は、5号車〜16号車を名乗り、指定席位置を16両化された列車と合わせた。
これに伴い、新幹線は全列車が16両編成となった。
「ひかり」
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「こだま」
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昭和48年
この年の秋から翌年春にかけて、博多開業準備用の12両編成が登場した。博多開業の際には、「ひかり」編成のビュフェを1両に減らし、代わりに食堂車を連結することに決まっていたためか、ビュフェ車無し、グリーン車2両の編成で登場している。博多開業までの間、この編成がどのように使われていたかは不明である。26形500番台は自販機コーナーのある車両であるが、特に26形0番台と区別して使われることは無かった。
???
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昭和49年
博多開業を迎え、「ひかり」編成は大幅な組成替えを行った。またこの改正から食堂車が登場し、「ひかり」編成はビュフェ車1両、食堂車1両の編成に変わっている。旧「ひかり」編成から新「ひかり」編成への組み替えは、7号車→5号車、8号車→6号車、5号車→9号車、6号車→10号車、9号車→11号車、10号車→12号車、12号車→14号車となり、7号車、8号車には、27形・36形という新造の食堂車ユニットが挿入された。また編成から外された旧「ひかり」編成の11号車、14号車は新造食堂車ユニットとともに、前述開業準備車の10号車と11号車の間に挿入された。この結果、新「ひかり」編成は次のようになった。この8号車食堂車、9号車ビュフェ、11号車と12号車がグリーン車という編成は、なんと平成7年に組み替えられるまでまったく変わらなかった。私にとっても、0系「ひかり」と言えば当然この編成である。
またこの年には、先頭車ユニット以外すべてグリーン車という変則編成が登場し、VIP輸送に活躍した。翌50年始めには、この編成もバラされて普通の「ひかり」編成になってしまったが、いまだに語り草になっている。
「ひかり」
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「こだま」(自由席・指定席の配置は50年3月10日からのもの)
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変則編成
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